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新型チューダー ブラックベイがモノクロームへと進化。

マスタークロノメーター認定とT-Fitクラスプを備えたこの新型ブラックベイは、昨年のバーガンディモデルのデザインコードを踏襲している。
刷新されたブラックベイ バーガンディを見たとき、我々はそれを予想できたかもしれない。もし私が賭け事をする人間だったなら、今年はブラックとブルーで見られると賭けていただろう。そしてその賭けは半分外れた。ブルーはなかったがブラックが登場した…予想外に改良された形で。チューダーは今日、ブラックベイをモノクロトーンで発表した。チューダーのオールブラックダイバーの最新モデルが誕生したのだ。
この時計は、本質的には昨年のブラックベイ バーガンディの黒バージョンである。つまり、2023年リリースの新しい5連リンクブレスレット、新しいリューズ、T-Fitクラスプ、3種類のストラップオプション(5連リンク、オイスター、ラバー)、サブマリーナーをほうふつとさせる刻みの多い新ベゼル、そして文字盤にプリントされたマスタークロノメーター認定を備えていることを意味する。
しかし、昨年のリリースとは異なり、旧ブルーモデルのデザインと同様に、この新しいブラックベイには金色のギルト装飾が一切ない。ブラックベイのラインに、クリーンで新鮮な印象をもたらし、41mm径のBB(ブラックベイ)が依然としてブランドの中核をなす時計であることを表している。
我々の考え
チューダーは、自分たちが何をしているかをはっきりと理解している。2023年のW&Wでは、ブラックベイ 58の小型版、ブラックベイ 54を発表している。その時計の主な特徴は、言及するほどのギルト装飾のない無骨なベゼルだった。チューダーは今年、そのアイデアを41mmのブラックベイで実現したのだ。これは10年以上前、チューダーというブランドを積極的に変革した時計の、最新の進化形である。
モノクロのカラースキームは、“ノンギルト”のアプローチであり、ブラックベイのよりミニマルな外観と感触を提供する。昨年ケースはスリム化(13.5mm厚)され、BBを旧型へと近づけた。この新しい時計では、外観が完成され、完璧にそれを実現したように感じられる。ブラックの文字盤に映えるアップデートされたベゼルは、まるで成熟したブラックベイのようであり、T-Fitクラスプは歓迎すべき追加のオプションである。
この新しいブラックベイを含む、すべての新作を実際に手に取るために、まもなくW&Wに向かうので、ご期待あれ。
基本情報
ブランド: チューダー(Tudor)
モデル名: ブラックベイ モノクローム(Black Bay Monochrome)
型番: M7941A1A0NU

直径: 41mm
厚さ: 13.6mm
ケース素材: ステンレススティール
文字盤: ブラック
インデックス: アプライド
夜光: あり
防水性能: 200m
ストラップ/ブレスレット: SS製5連もしくは3連ブレスレット(ポリッシュ&サテン仕上げ)、またはラバーストラップ。“T-fit”クイックアジャストクラスプ
ムーブメント情報
キャリバー: MT5602-U
機能: 時・分・センターセコンド
直径: 31.8mm
厚さ: 6.5mm
パワーリザーブ: 約70時間
巻き上げ方式: 自動巻き
振動数: 2万8800振動/時
石数: 25
クロノメーター: マスタークロノメーター認定
価格 & 発売時期
価格: ラバーストラップは59万1800円、3連リンクブレスは62万1500円、5連リンクブレスは63万5800円(すべて税込)

関連商品:https://www.jpan007.com/brands-category-b-17.html

オーデマ ピゲ 「ロイヤル オーク ミニ」が放つスウィンギング60'sの新作情報です。

強く、しなやかに。新時代に臨む現代女性の腕元に似合う23mm径のロイヤル オーク。

1997年にオーデマ ピゲスーパーコピー時計が発表したケース径20mmの「ミニ ロイヤル オーク」を現代的に解釈したロイヤル オーク ミニ フロステッドゴールド クォーツが登場。女性でも大ぶりな時計を選ぶ潮流があるなかで、大胆に小径化へと舵を切り、鮮烈な新風を吹き起こすこのモデルは、時代を自由に謳歌する現代女性のライフスタイルを彩ってくれるだろう。

あの小さなロイヤル オークがケース径23mmとなってカムバック

1997年に誕生した20mm径モデルミニ ロイヤル オークから、長い時を経てふたたび20mm台として登場したロイヤル オーク ミニ フロステッドゴールド クォーツ。何より目を引くのは、23mm径と小ぶりになってなお変わらぬ強烈な個性だろう。ロイヤル オーク誕生から50年余りの歴史のなかで磨かれてきた八角形ベゼルを持つケースとタペストリーダイヤルの組み合わせがなせる業だ。

ケース素材は、18Kイエローゴールド、18Kピンクゴールド、18Kホワイトゴールドの3種類で、それぞれ同色にまとめられたタペストリーダイヤルを備えることでモノクロームの世界を演出。ダイヤモンドダストのようなフロステッドゴールドの煌めきに加えて、八角形を縁取る鏡面仕上げやその他のサテンフィニッシュ、またはブレスレットのリンク、さらにはタペストリーの凹凸や立体的なアワーマーカーなどがそれぞれ影響しあい、角度を変えながら異なる表情の輝きを映し出してくれる。

もちろん、それらは34mm径のモデルでも感じられるものだが、23mmという小径化にともなってギュッと濃縮された印象を与え、実にジュエリー的な魅力をいっそう際立たせているようだ。

ムーブメントにはクォーツキャリバー2730を搭載。電池寿命も7年以上と長いだけでなく、リューズを引くと、電池接続を切って「スイッチオフ」できるという極めて実用的なものだ。裏蓋の中こそ見ることは叶わないが、このムーブメントにも伝統の装飾が施されている点は言わずもがなだろう。

新しいロイヤル オーク ミニを見る
 
レガシーに軸足を置いた未来志向のミニウォッチ

歴史背景を探れば、この時計が時代を拓く新鮮な一本であることがさらに見えてくる。

オーデマ ピゲが1972年に発表したロイヤル オークだが、1976年には2番目のモデルとして女性に向けてリデザインした29mmのロイヤル オークを登場させた。当時デザインを手がけたのは、ブランドのデザイン部長を務めたジャクリーヌ・ディミエだ。時計ファンの間では、“ラグジュアリースポーツウォッチ”の元祖と目されるシャープな腕時計を、女性の手元にも似合うように再構成した彼女の功績は小さくないだろう。その後、ロイヤル オーク誕生25周年という節目の1997年に、20mm径のミニ ロイヤル オークが登場。当時の世界最小クォーツムーブメントを搭載し、ミニマル化がここに極まった。

元来、レディスウォッチの開発に余念がないこのマニュファクチュールが、ムーブメント製造技術の高まりと同時に精度を保ちながらの小径化を見せ、ディミエによって“小さくても美しい”端正な美を表現。マニッシュでありながらグラマラスな魅力をも兼ね備えたモデルが、一連の小径ロイヤル オークということになる。

新作のモダナイズという側面においては、フロステッドゴールドがそのアイデンティティを担っている。これは、ブランドとの関わりが深い宝飾デザイナー、キャロリーナ・ブッチによって2016年にブランドで初めて導入された加工で、ダイヤモンドチップのついたツールでハンマリングする職人の繊細な手作業は、機械技術が高まる現代において、いっそう価値あるものだ。

イラリア・レスタCEOは、「これらのミニクリエーションは オーデマ ピゲのミニチュア化とジュエリーウォッチの長い伝統だけでなく、ブランドの歴史に名を残した女性たちへのトリビュートでもあります。そのなかにはロイヤル オークのレディスモデルをデザインしたジャクリーヌ・ディミエ、フロステッドゴールドをブランドに導入したキャロリーナ・ブッチがいます」と、小径モデルに関連する女性クリエーターへ賛辞を贈る。

マニッシュなロイヤル オークを、レガシーに基づきながら先端的なレディスウォッチとして見事に進化させたロイヤル オーク ミニ フロステッドゴールド クォーツ。ジェンダーの垣根を越えることにポジティブな現代において、先進的な女性の腕元に似合う未来志向の腕時計と言って過言ではないのだ。
オーデマ ピゲ公式サイトを見る
 
しなやかに新風を纏うなら、シックスティーズの気分で

時刻を示す道具である一方で、軽やかなファッションを飾るジュエリーともなりうる腕時計だからこそ、軽やかに、しなやかに、時代を纏いながら楽しんで身につけたい。

このところ、モードの世界でも徐々に注目を浴びているのが、シックスティーズのムード。当時、それまでのオートクチュール全盛だった女性の服飾界にストリートからの新風が吹き込み、大人のモード服も様変わりした時代だ。スウィンギング・ロンドン、ミニスタイル、マッシュルームカット。象徴的なキーワードを耳にするだけでも、当時のカウンターカルチャーが服飾に与えた大きな影響を感じることができる。

今もエディ・スリマンなどを筆頭に、こうした時代のムードを取り込んでいるデザイナーも多く、オーセンティックなチェックジャケットや明るいカラーブロックの配色、ラップドレスなどを現代的に解釈して、新たな潮流を生み出しているのだ。1960年代も、混沌とした世情である点は現代とも共通しているようも思える。そうした時代の荒波のなかでも、強くしなやかに生きる人のライフスタイルに、こうしたシックスティーズを意識した先端スタイルはよく似合う。

その腕元には、もちろん同じように強くてしなやかに映るロイヤル オーク ミニ フロステッドゴールド クォーツが輝くはずだ。

関連商品:https://www.hicopy.jp/brand-copy-IP-16.html

クォーツ技術は、1970年代の時計美学の進化に大きく寄与した。

パテック フィリップを含むスイスの高級時計メーカーは、新技術に直面して実験的なデザインに取り組むしかなかった。また、HODINKEEの元エディターであるジョー・トンプソンが以前“ファッションウォッチ革命”と呼んだ現象の出発点でもあった。電池式時計の登場から10年で、ウォッチメイキングの大部分は計時機能よりも外見に重点を置くようになり、ついには時間を知らせるだけのファッションアクセサリーへと進化した。
 日本から輸入されたこの技術は、大手で非常に有名なファッションブランドによる時計会社とのライセンス契約の増加を生んだ。クリスチャン・ディオール、グッチ、イヴ・サンローランといったブランドは、安価なクォーツウォッチのダイヤルに自社のロゴを付けて、大衆市場での利益を上げることができるようになった。
イヴ・サン=ローラン(1936年~2008年)、1982年1月にパリのスタジオにて。

多くのファッションブランドがライセンサー/ライセンシーとして利益を追求するなか、イヴ・サン=ローラン(Yves Saint Laurent)を取り上げることは現代のファッション界を分析する上で最も明白な選択である。彼は既成のドレスコードに鉄槌を下した革新者であり、最終的に20世紀後半の女性ファッションを定義づけた。サンローランのメゾンは、1960年代にはパリの女性の服装を保守的で堅苦しいマンネリから解放し、“オピウム(香水)”や1970年代のセックスセールス戦略で世界を騒がせ、1980年代にはあらゆるものに自信を持ってその名を刻み込んだ。
 1983年にメトロポリタン美術館で開催された回顧展において、ファッションの女帝でありコスチューム・インスティテュートの大御所であるダイアナ・ヴリーランド(Diana Vreeland)によって“生きる天才”および“ファッション界の導師”として称えられたイヴ・サン=ローランは、ファッション界のエリートたちから“天才”やその類義語を与えられて絶えず称賛されてきた。これは現代の時計デザインの流れを変えた天才的な開拓者としてしばしば称えられる、ジェラルド・ジェンタ(Gerald Genta)に対する時計愛好家の賞賛の仕方に似ている。
1983年12月6日、ニューヨークのメトロポリタン美術館で開催されたコスチューム・インスティテュート・ガラの“イヴ・サンローラン: デザインの25年”にて、ダイアナ・ヴリーランドとイヴ・サン=ローラン。
1957年にクチュリエの巨匠であるクリスチャン・ディオールが急逝したあと、若き見習いとしてキャリアをスタートさせたイヴ・サン=ローランは、わずか21歳でディオールの後継者となった。その3年後には、自身の名前を冠したブランドを設立する。その後は、モンドリアン・ドレス、ル・スモーキング、サファリ・ルック、そして1976年の“バレエ・リュス”ショーなど、多くの名作を生み出した。このショーは、「イヴ・サン=ローランが本日発表した秋のクチュールコレクションは、ファッションの流れを変えるだろう」とニューヨーク・タイムズ紙の一面を飾った。彼は1960年代から80年代にかけて、オートクチュール界の北極星となったのだ。
イヴ・サンローランのオートクチュール、春夏2002コレクションにて登場したモンドリアン・ドレス。イヴ・サンローランのレディ・トゥ・ウェア(プレタポルテ)レーベル、“リヴ・ゴーシュ”は1966年に設立。オートクチュールがお金を惜しまず、またオーダーメイドのワードローブのフィッティングに時間を費やせる社交界の人々のために存在する一方で、リヴ・ゴーシュはパリの若者やトレンディな人々が集まる左岸にて若者向けの既製アイテムを販売し、もう少し手ごろな価格でYSLの世界に足を踏み入れる方法を提供した。リヴ・ゴーシュの成功の原動力を理解することは、最終的に大量のライセンス契約によってその評判を確立した会社のビジネスモデルを理解する上で欠かせない。それはYSLの世界を拡大するための道筋でもあった。
パートナーであり共同創業者、そして後に社長となったピエール・ベルジェ(Pierre Bergé)は、60年代と70年代にイヴ・サンローランというブランドのイメージを築き上げた。ベルジェは、YSLが代表するライフスタイルを顧客に受け入れさせるという点で、時代を先取りしていた。パリのファッション界の舞台裏にある陰謀を利用し、ベルジェはクチュリエであるサン=ローランを中心に立て、ブランドの魅力的かつ強力な象徴に仕立て上げた。サン=ローラン自身も広告キャンペーンに登場しており、男性用香水のYSLプールオムの発売時にヌードで登場したことは有名な話だ。
1978年9月20日、ニューヨークのスタジオ54で開催されたオピウムパーティにて、左からホルストン(Halston)、ルル・ド・ラ・ファレーズ(Loulou de la Falaise)、ポタッサ(Potassa)、イヴ・サン=ローラン、ナン・ケンプナー(Nan Kempner)。Image: Getty.
化粧品とフレグランスは、さらに広範なグローバルライセンス契約の前兆に過ぎなかった。1975年には、シチズンが日本市場向けに限定してYSL(イヴ・サンローラン)とライセンスを結び、時計を製造・販売し始めた。YSLがデザインを担当し、シチズンが製造を行っていたのだ。最初の製品ラインは手巻きの2針式で、薄型の正装時計に対する需要に基づいてつくられた。初期のデザインは、YSLのエレガントな美学に緩やかに沿ったものであり、このコラボレーションの結果、スマートにデザインされ、金メッキが施された高品質のクォーツウォッチ(いくつかの機械式も含む)が誕生したのである。
YSL×シチズンのクォーツウォッチ。80年代頃に製造されたモデル。
スリムで洗練されたデザインは、リッチなブラウンやパープル、またはシンプルでクリーンなブラックのパレットで彩られ、正確に配置されたラインが実験的なテクスチャー(スネークスキン!)とカラーを引き立てていた。1970年代という“何でもあり”の時代にあっても、これら初期のシチズンYSLモデルはスムーズかつ控えめで洗練されていたのだ。時計に刻まれたファッションの影響は魅力的であり、威圧的ではなかった。
今日、シチズンは豪華さや華やかさのイメージを強く喚起しないかもしれないが、初期のシチズンYSLコラボレーションはデザインが優れており、品質もかなりよかった。70年代半ば、すべての日本の時計メーカーがこぞってクォーツ技術を採用し、手ごろな価格と高級感の融合を試みた。誰もが認めるリーダーはセイコーだったが、同じく東京のライバルであるシチズン(当時はセイコーの売上の約4分の1に過ぎなかった)もクォーツ美学革命の最前線に立っていた。それは大いなる実験の時代であり、時計を比較的安価につくることができたため、ひとつの正しい美学的解答は存在しなかったのだ。
社内向けのヴィンテージシチズンカタログ。Image: Courtesy of Citizen.
コラボレーションの開始当初と初期の数年は、YSLの世界観と、ある程度計算された美学的なクロスオーバーが少なからずあった。これらの時計はスリムでセクシーであり、1970年代の誘惑的な享楽主義(オピウムの香り)に満ちたサン=ローランの世界観と見事に一致していた。イヴ・サンローランのクチュール全体ではなく、手ごろな価格でYSLの一部分を楽しむことができたのだ。
1970年代の機械式YSL、“レベルソ”。Image: Courtesy of C4C Vintage Watch Store. 
機械式とクォーツの“レベルソ”。Image: Courtesy of a Portuguese watch collector.  
それでは、なぜオートクチュール、グラマー、カトリーヌ・ドヌーヴのようなフランスのイットガールたちで構成される世界観を持つ、グローバルに評価されるパリのメゾンであるYSLが、低価格帯の大衆市場向けウォッチを販売するライセンス契約に自らの名前を付けることを望んだのか? ベルジェは皮肉にも会社を宣伝することに成功した。彼は社長として単なるファッションハウスだけでなく、YSLロゴの力を利用し、グローバルなマスマーケット向け企業としても運営する。80年代から90年代にかけていたロゴマニアのはるか前から、同ロゴには販売力があったのだ。1998年のFIFAワールドカップ決勝戦(世界中17億人の視聴者が生中継を見ていた)前に、イヴ・サンローランはスタッド・ド・フランスで大規模なファッションショーを開催し、300人のモデルがピッチ上で巨大なYSLロゴを形成した。

ユリス・ナルダンとともにグループの一翼を成すジラール・ペルゴ。

ジャン=フランソワ・ボットが1791年に興した時計工房に端を発する。彼の死後も工房は長く続いたが、最終的に同じく時計職人だったコンスタン・ジラールが1852年に設立した時計会社に引き継がれ、1856年には妻のマリー・ペルゴの姓を取り、現在まで続くジラール・ペルゴの名が誕生した。

 ジャン=フランソワ・ボットが築いた工房では、当時はまだ珍しかった時計の設計から製造、組み立て、最終的な品質管理まで自社で行うマニュファクチュール体制を確立したことで成功を収めた。これはジラール・ペルゴにおいても引き継がれ、1906年にボットの工房を買収したことで現在のジラール・ペルゴのベースが築かれ、創業当初から今日まで自社製造にこだわる希有なマニュファクチュールとしての地位を今に伝えている。

 そんな歴史あるマニュファクチュールで2019年に執行委員会の最年少メンバーである製品責任者に任命され、2020年からはチーフ プロダクト& マーケティング オフィサー(CPO&CMO)として現在ブランドを牽引するひとりがクレマンス・デュボア(Clemence Dubois)氏だ。CPO&CMOは従来の役職としての枠を大きく超え、ブランドにとって重要なふたつの部門の監督を兼ねている。マーケティングおよびコミュニケーション戦略を策定する責任に加え、ジラール・ペルゴの主要な新製品発表の年間計画を決定し、デザイナー、テクニカルプロジェクトマネージャー、プロダクトマーケティングなどを含む、すべてのタイムピース開発を専門とするチームを管理する。またデザイン、R&D、製造、コミュニケーション、外部サプライヤーなど、あらゆる面で主要な関係者を監督し、社内で調整するのも彼女の仕事であり、重要案件の要旨からプロトタイピング、製造までの各重要なステップを確実に進める上で欠かすことのできないチームの極めて重要なメンバーとなっている。まさにジラール・ペルゴにおけるキーマンが先日来日を果たし、我々HODINKEE Japanのインタビューに答えてくれた。気さくに答えてくれる彼女の口からは、実に興味深いエピソードをいくつも聞くことができた。

クレマンス・デュボア(Clemence Dubois)

ジラール・ペルゴ チーフ プロダクト& マーケティング オフィサー(CPO&CMO)。2011年にHEC ローザンヌ、およびHEC パリのビジネススクールで経営学の学位を取得。2013年にマーケティングの修士号を取得したのち、ジラール・ペルゴで10年以上のキャリアを積み、2019年に製品責任者に任命される。2020年には製品開発、マーケティング、コミュニケーション活動を統括するチーフ・プロダクト・マーケティング・オフィサーに就任し、現在に至る。

キャスケット 2.0が、デュボア氏にとって最初のプロジェクトだった

2022年に発売されたキャスケット 2.0。
佐藤杏輔(以降、佐藤)
2020年にCPO&CMOに就任され、ジラール・ペルゴの製品およびマーケティング責任者として重要な役割を果たされていますが、現在のポストに就任して最初に手がけたプロジェクトはなんですか?
クレマンス・デュボア氏(以降、デュボア)
 実はたくさんプロジェクトがあったのですが、特に“キャスケット 2.0”はとても特別なプロジェクトでした。キャスケットは1976年に生まれたタイムピースでしたが、ジラール・ペルゴのマインドを見事に映し出している存在だと思います。そこでまずはそのような製品をリバイバルさせようというのがプロジェクトのスタートとなりました。レトロなルックスはキープしつつ、同時にとても未来志向なものにしたいと考えていましたね。

 ブランドの歴史を振り返っても、このようなプロジェクトはこれまでにもたくさんありました。私たちは非常に独立系らしい、マニファクチュールとしての取り組みをこれまでもやってきましたが、デザイナー、そしてウォッチメーカーも含めてブランドで働く人たちすべてがそのようなマインドを持って仕事をしています。

 ブランドではひとつの世代からまた次の世代へと必ずさまざまなノウハウが伝承されますが、それを担保していくこと、途切れることなく継承していくことが、CPO、CMOとしての私の1番大切な仕事ではないかと考えています。ただしそれは必ずしも過去に対する敬意だけでは成り立たず、やはり顧客のみなさんにワクワク感を届けることができるようなものでないといけないとも思っています。

 幸いなことにジラール・ペルゴには230年以上の長い歴史がありますので、そのなかで十分に“遊べる”ものがあるのです。そういった意味でもキャスケットはうってつけのプロダクトでした。230年以上も前に創業者のボットが、200人の職人たちを集めてひとつ屋根の下で時計づくりを始めようと考えたわけですが、時計づくりという点においてはもちろん、現在にも続くビジネス(スタイル)の始まりでもあり、非常に革新的な起業家精神を持っていてそれが今でも息づいているというのはジラール・ペルゴの魅力だと思うのです。 

オリジナル(1976年)

キャスケット2.0(2022年)
佐藤
ジラール・ペルゴにはアイコニックな製品が過去に数多く存在していましたが、そのなかでなぜキャスケットを最初のプロジェクトに選んだのですか?
デュボア
 現在ブランドのコレクションとしては特にロレアートとブリッジが大きな柱になりますが、70年代を振り返ってみると非常に興味深いことが分かります。当時はフェイスだけで時計を判断しませんでした。どちらかというとブレスレットもひとつのものとして時計と考える時代で、そういった意味でキャスケットはまさに当時のトレンドのど真ん中と言えるプロダクトでした。

 研究開発においてもとてもおもしろい時期でした。ジラール・ペルゴでは1970年代に初めて研究開発部部門(R&D部)と呼べるものが立ち上がりましたが、そこではたくさんのムーブメントを開発することになりました。ご存じのとおり、現在のクォーツウォッチにおける周波数は、ジラール・ペルゴのR&D部が開発したムーブメントが基準になっています。私としてはそうした70年代を改めて賞賛することをやりたいという思いが強くあったのです。

 こういった時計(キャスケットのようなアイコニックな時計)が、ジラール・ペルゴにはほかにもたくさんあります。ディープ ダイバーもそうですね。この時計は1969年に登場しましたが、おそらくこれがロレアートの始祖と言えるのではないかと考えています。ベゼルが14角形なのですが、私たちはとても形状にこだわります。現在のロレアートもそうですね。この時計は円形リング上に配されたホールマーク入りの八角形ベゼルや、クル・ド・パリの文字盤などがそのいい例です。おっしゃるようにたくさんの時計のデザイン、アイコンが過去にあるわけですが、ブランドには従うべき原理原則があり、必ずオリジナルに対して敬意を払うこと、そしてそこから離れてはいけないとしています。

 ひとつには対称であること、非対称であってはいけないということです。厚みと直径の比率にもこだわりがあり、バランスがよくなければいけません。そして腕につけたときのつけ心地もよくなければならない。つまり人間工学的な要素がジラール・ペルゴにとってはとても大切な部分だということです。そして“ライト”という考え方にもすごくこだわっています。

 この“ライト”には、光、そして軽さという意味があります。まず光についてですが、キャスケットはまさに明暗のコントラストを表現しています。デジタルディスプレイ部分ですね。あとはキャスケットが使っているさまざまな素材も、この“ライト”で遊ばせてくれるものとして考えています。(軽量な)マクロロン、それから(重量のある)ステンレススティールの対比ですね。ロレアートにも同じことが言えるでしょう。さまざまな素材、さまざまな仕上げ、形状もそうです。光の表現を大切にしているのはもちろんですが、軽さ、軽量さということにも注意を払って表現しています。

佐藤
今でこそ1970年代の変わった時計や“シェイプドウォッチ”と呼ばれるさまざまなスタイルが市場で認められるようになりましたが、キャスケット 2.0が発表された当時(2022年)はまだそれほど注目されるものではありませんでした。発表当時、ヒットの確信のようなものはあったのでしょうか?
デュボア
 私はジラール・ペルゴの精神性を具現化させる立場にあるので、そういった意味では先進性、つまり人よりも先を行かなければいけないという意識はすごくありました。だからといって、単にトレンドを追うということではありません。世の中が納得するものであること、つまりプロダクトに合理性があればヒットするとは考えていました。そういった意味では、ジラール・ペルゴのキャスケットの復活は、おそらく市場としても非常に納得のいく組み合わせだと改めて思われるという確信はありました。

 私たちはとても幸運だと思っています。ジラール・ペルゴには、非常に強力なコミュニティが存在しているのです。実はその世界中のコミュニティが声を上げてくれてたんですね。私はこのジラール・ペルゴコミュニティのファンの声を聞き、アイデアが浮かびました。復活プロジェクトにチャレンジしよう、そしてムーブメントを新たに開発していくつかの機能を追加しようと考えたわけです。オリジナルのスピリットはもちろん継承していくのですが、もちろん21世紀にふさわしいものとして当然ながら再定義が必要でした。2、3年かけて開発したので、2019年にはすでにプロジェクトは動き出していたことになりますね。

キャスケット 2.0の詳細は、2022年に公開した記事「ジラール・ペルゴ キャスケット 2.0 再び光輝く永遠の名品」 のなかで詳しく解説しているので、ぜひ今1度読んでみて欲しい。すでに完売しているので、欲しくなっても購入できないのは残念だが・・・。
佐藤
ジラール・ペルゴにとって、コレクターコミュニティの声、意見を聞くことはよくあることなのですか?
デュボア
 そうですね。それが230年以上の歴史を紡いできたインデペンデントブランドのよさだと考えています。自分たちにとって何がいいか、何をすべきかということをファンの声からも探ることができるというのはとても素晴らしいことです。普段から楽しんでジラール・ペルゴの時計をつけて欲しいですね。(キャスケット 2.0の復活は)まさにコミュニティのおかげというところが多くあります。ですから、コミュニティの意見を聞くというのはとても大切で、できることならみなさんに工場へ来てもらいたいといつも考えているくらいです(笑)。

佐藤
ジラール・ペルゴはとても長い歴史を持っていますが、デュボアさん自身が思うブランドの強みとは、どんなものだと考えていますか?
デュボア
 ジラール・ペルゴの強みというのは…、まずは否定をさせてください。逆の言い方をしますと、たとえばすでにある機能に対して新しい機能を付け加えていくことがジラール・ペルゴではないと思っています。私たちがすでに持っているブランドのシグネチャー(ブリッジは150年以上前に誕生した最も古い機械式のシグネチャーである)、いわゆるサヴォアフェール(伝統的な匠の技)、自分たちの持っている知見というものの限界をどこまで押しげていくかを常に追求しているのがジラール・ペルゴなのだと思っています。

 そして一貫生産できること、オートオルロジュリー マニュファクチュールであるということは、やはり強みであると考えています。いわゆる“コンセプトウォッチ”を作るような会社ではないということです。身につけてもらうものを作ること、“本物”の時計にすることが大切だと考えているのです。例えば、ネオ コンスタント エスケープメント(その詳細はこちらの記事を読んでみて欲しい)はその好例だと思います。とても革新的な脱進機なのですが、その開発には20年間もかかりました。コンセプトウォッチとして発表して“どうですか? すごいでしょ!”というカタチで終わることもできたと思いますが、私たちとしてはそれをまた押し広げて、限界を広げて、みなさまに見てていただけるものとするために挑戦し続けたのです。1本のみのユニークピースではありません。もちろん何百本も作れるようなものではありませんが。
 

ベルネロンやダニエル・ロート、レジェピといった小規模ブランドからの新作が、

この若い時計師たちはSJX Watchesを運営するスー・ジャーシャン(JX Su)氏と同席し、彼らが初めて手がけたインディペンデントウォッチ、アインザー(Einser)を見せるために私を呼んだのだ。彼らはA.ランゲ&ゾーネでキャリアをスタートさせその後独立したが、その背景の一部にはグラスヒュッテが独立系ウォッチメイキングの拠点となりうることを証明したいためでもある。
 アインザーを発表したあと、カリニッヒ・クレエは瞬く間に30本すべてを売り切った。まだあまり知られていない時計師としては見事な成果である。Geneva Watch Daysでは新作の発表はそれほど多くはなかったが、カリニッヒ・クレエはダニエル・ロートやベルネロンなどEditors' Picksで取り上げたブランドと並んで、私が印象に残った存在のひとつだった。今後数週間でさらに多くの記事を掲載する予定だ。

若き時計師カリニッヒ氏とクレエ氏による見事な仕事ぶりは目を見張るものがある。彼らはほぼすべての部品を自分たちで製造しており、とりわけムーブメントの設計が印象的だ。伝統的な4分の3プレートを採用しているが、ムーブメントの最も興味深い特徴が見えるように露出している。たとえばテンプ受けには、ランゲの元マスターエングレーバーによってエラのような模様が刻まれており、さらにヒゲゼンマイと連動するレギュレーターがテンプ受けのシェイプに沿って配置され、スワンネックに似た機能を果たしている(下図参照)。

 その一方で、スイスの時計業界は多くの報道によると苦境に立たされている。Geneva Watch Daysのあと、ブルームバーグのアンディ・ホフマン(Andy Hoffman)氏は、“スイスの高級時計メーカーは、需要減退に対応するため政府に財政支援を求めている”と書いている。ブルームバーグによると、ジラール・ペルゴとユリス・ナルダンを所有するソーウィンドグループは、従業員の約15%を短時間労働や一時帰休にするため、この国のプログラムを利用していることを初めて明らかにしたブランドである。このプログラムでは企業が一時的にシフトを削減するあいだ、政府が一時帰休中の労働者の給与の一部を負担する。最近の報道によれば、時計部品サプライヤーが多く集まるジュラ地方では、この夏に約40社がこのプログラムに申請しているという。
 カルティエ、IWC、ヴァシュロン・コンスタンタンなどのブランドを傘下に持つリシュモンのトップでさえ、自社ブランドが生産を抑制し、“ただ単に量を追求するのではなく、慎重になるべきだ”と述べている。 
 これらふたつの対照的な話を、ひとつのすっきりした物語にまとめるのは難しいかもしれない。一方でまだあまり知られていないドイツの時計師ふたりでは処理しきれないほどの需要があり、また彼らのような状況にあるブランドはほかにも存在する。他方では、何世紀もの歴史を持つGPやUNといったブランドが、工場をフル稼働させるほどの需要を確保できていない。この“対照的な話”の一部こそが、どんな業界でも健全さを保つ要因である。好みは変化し、古いブランドは遅れをとったり適応できなかったりする一方で、新しいブランドがその穴を埋めるのだ。結局のところ、先に挙げた小規模なブランドの新作に熱狂し、ジラール・ペルゴのラ・エスメラルダ トゥールビヨン “シークレット” エタニティ エディション(税込6295万3000円、世界限定18本)についてはほとんど触れないのには理由があるのだ(私たちはこのモデルのターゲット層ではない)。
 中国経済の減速がこの停滞の主要な原因として挙げられている。確かに、時計業界は経済的不確実性の犠牲となっているが、Geneva Watch Daysのような時計展示会は、政治集会や高校の壮行会のようなものであり、意図的に興奮を煽り、実際の時計に焦点を当てるために設計されている。
 新作の発表はそれほど多くはなかったものの、それぞれ秋の新作発表やオークションなどに向けて準備を進めるなか、業界を盛り上げるには十分な内容だった。ここでは私がジュネーブで目にしたハイライトをいくつか紹介する。これらについては、今後数週間でさらに詳しく取り上げる予定だ。
全体のムード

新設されたオルタナティブ・オロロジカル・アライアンス(Alternative Horological Alliance)のタンタル製ブレスレット。
 ほかの展示イベントに比べて、Geneva Watch Daysは緩やかで分散型の雰囲気を持っており、とくに小規模のインディペンデントブランドに焦点が当てられている(パテック、ロレックス、リシュモンなどは不参加)。実際、この独立系の精神こそが、業界全体に最も大きな活気をもたらしているのだ。
 それを最も象徴していたのは、新作発表ではなく、私が週の始めに参加したオルタナティブ・オロロジカル・アライアンスの発表だったかもしれない。これは、ミン、フレミング、J.N.シャピロが共同で立ち上げた取り組みであり、インディペンデントウォッチメイキングを“既存の枠を超えた新しい基準”に向けて推進することを目的としている。マークの説明によれば、この取り組みでは資源を共有し、伝統的な時計製造のサプライチェーンの一部を再考することも含まれている。このアライアンスの発表とともに、ミンがデザインし、シャピロが製造した印象的な新作のタンタル製ブレスレットも披露された。
 彼らの製品は常に独立性の価値を示しているが、長期的に持続可能な独立系ブランドを築くことは難しい。AHAのような取り組みが、その助けとなることを願っている。
オークション

11月に開催されるサザビーズの“トレジャー・オブ・タイム”オークションの注目ハイライト。ブレゲ数字を採用したRef.1563が目玉となっている。
 現行品の市場と同様に、オークションやセカンダリーマーケットも減速している。これは時計に限った話ではなく、サザビーズは最近、上半期の収益が大幅に減少したと報告した。大手オークションハウスは秋のシーズンが好調になることを期待しており、すでに11月のセールプレビューを行っている。
 まず最初にプレビューしたのは、サザビーズのシングルオーナーによる“トレジャー・オブ・タイム”オークションだ。11月に行われる同オークションは、パテック フィリップを中心に30本の時計が出品される。目玉はRef.1563のスプリットセコンドクロノグラフだ。現存するものはわずか3本しか確認されておらず、そのうちの1本は有名なジャズミュージシャン、デューク・エリントン(Duke Ellington)が所有していたもので、現在はパテック フィリップ ミュージアムに収蔵されている。1563はイエローゴールドケースと“タスティ・トンディ”と呼ばれるRef.1463と同じプッシャーが特徴だが、このモデルを際立たせているのはブレゲ数字である(ちなみにエリントンのモデルにはこのブレゲ数字はなかった)。このコレクターはブレゲ数字に強いこだわりを持っていたようで、Ref.130 クロノグラフや、ブラックダイヤルの2499、さらにはRef.1436のスプリットセコンドクロノグラフにもそれが見られる(しかもハードエナメルで!)。Ref.1563のスプリットセコンドクロノグラフは、推定落札価格が100万スイスフラン〜300万スイスフラン(日本円で約1億6640万~4憶9900万円)とされており、2013年に記録した150万スイスフラン(当時の相場で約1億5800万円)を超えるかどうかが注目される。近日中に詳しいプレビューをお届けする予定だ。なおサザビーズ“トレジャー・オブ・タイム”の全カタログはこちら。

ジュルヌが製作した2本目の腕時計であり、初めて販売されたトゥールビヨン・スヴラン。11月に開催されるフィリップスのリローデッド(Reloaded)オークションに出品予定だ。
 一方、フィリップスはリローデッドオークションのプレビューを行った。同オークションは1980年から1999年の時計を中心に取り扱っており、フィリップスはこの時代を“機械式時計製造の再興”と呼んでいる。ブレゲ、ブランパン、ダニエル・ロート、デレク・プラットなど、この時代を象徴する時計師たちの幅広いコレクションが揃っているが、特に注目すべきは初代ロレックス レインボー デイトナと、ジュルヌが製作した2本目の腕時計であるトゥールビヨン・スヴランだ。今年1月のマイアミアンティークショーの特集を振り返れば、リローデッドに出品されているほかの時計を思い出すかもしれない。
 私はジュルヌファンではないが、トゥールビヨン・スヴランはまさに見事な職人技の結晶だ。“クラフトマンシップ”という言葉は今ではすっかり使い古されているが、この時計にはその真の意味が込められている。素朴なダイヤルかつ手彫りで、インクが湿ったノートのように滲んでいる。レインボー デイトナは“300万スイスフラン(日本円で約4憶9900万円))を超える見積もり”だが、ジュルヌは“200万スイスフラン(日本円で約3億3260万円)を超える”見積もりとなっている。個人的には、ジュルヌのほうが響くものがある。繰り返すが、私はジュルヌファンではない! フィリップスオークションについては、今後さらに詳しく取り上げる予定だ。ちなみに、プラチナ製のデュフォー デュアリティにはまだ触れていないが、オークションのレベルが高いことはこれでお分かりいただけるだろう。オンラインカタログはこちら。
 それでは、新作時計の紹介に移ろう。
新作発表: A(アルビスホルン)からX(ジェブデ)まで

アルビスホルンのマキシグラフは、存在していたかもしれないヴィンテージレガッタウォッチを、遊び心たっぷりに再解釈したモデルだ。
 アルビスホルン(Albishorn)は、セリタ社のイノベーションおよびマーケティング責任者であるセバスチャン・ショルモンテ(Sébastien Chaulmontet)氏によって立ち上げられた新ブランドだ。ショルモンテ氏は筋金入りのヴィンテージクロノグラフ愛好家であり、彼のコレクションの一部を紹介する素晴らしい動画も公開されている。長年彼の存在を知っていただけに、ついに本人と直接会えたことがとてもうれしかった。
 アルビスホルンのマキシグラフはマッセナLABとのコラボレーションによって誕生し、1930年代に作られていたとしたらどのようなモダンなレガッタクロノグラフになっていたかを想像してデザインされた時計だ。デザインは見事に仕上げられており、典型的なレガッタタイマーとは一線を画す、いくつかの巧妙な技術的イノベーションが盛り込まれている。同僚のジョナサンはEditors' Picksで、この時計をGeneva Watch Daysで最も気に入ったリリースとして挙げている。アルビスホルンからは今後も“ヴィンテージウォッチの再解釈”をテーマにしたモデルが登場する予定で、すべてがヘリテージのアイデアを遊び心いっぱいに表現している。またヴィンテージにインスパイアされたデザインが、必ずしも堅苦しいものである必要がないことも証明した。

スリム化されたM.A.D.1 S。マークのHands-Onレビューでも紹介されたモデルだ。
 1年以上ぶりにMB&Fの時計とじっくり向き合う機会を得たが、まるで動くアートのワンダーランドのようだった。レペとMB&Fのコラボ作“アルバトロス”、いわばチャイムを鳴らす飛行船型の置時計から、実際に装着可能となったM.A.D.1 Sまで、マックス・ブッサー(Max Büsser)氏の世界に足を踏み入れた瞬間から、その感覚に圧倒される。過去数十年間、彼ほど時計や置時計の目的そのものを根本から再考した人物はいないだろう。彼の作品を実際に手に取ることで、その独自性を改めて実感させられる。
 ジュネーブ中心部にあるジェブデ・レジェピ(Xhevdet Rexhepi)氏の工房は活気に満ちており、6人ほどの従業員が組み立てや仕上げのさまざまな工程に取り組んでいる。彼のアトリエの様子は、この動画で手軽に見ることができる。彼の手がけたミニット・イネルテは、インディペンデントウォッチメイキングの革新的な作品だ。秒針が毎分2秒間停止し、そのあと分針が一気に進むという仕組みで、これはスイスの鉄道時計を参考にしたものだ(実際の動作はここで確認できる)。この複雑機構を完成させるのには相当な苦労があったようだが、彼の工房ではグリーンとブルーのダイヤルを備えた実働モデルを見ることができた。

オクト フィニッシモ ウルトラは、驚くほど薄いにもかかわらず、依然として“時計”としての感覚を保っている。

...しかし、底知れぬ薄さだ。
 新作ではないが、ブルガリのオクト フィニッシモ ウルトラ COSCは、実物を見てもなおその薄さが信じがたい。わずか1.7mmだが、しっかりと時計としての感覚を保っている。“データマトリックス(ラチェット部分にあるQRコードのようなパターン)”は今でもあまり好みではないが、それ以外だと極端なオクト フィニッシモであり、それはまるでパスタローラーを何度もとおしたかのようだ。コンスタンチン・チャイキンのシンキングプロトタイプ(1.65mm)も見たかったが、彼は4月までに量産モデルを出すと約束している。今のところブルガリが依然として最薄量産時計であり、重要なのはフェラーリ×リシャール・ミルやチャイキンとは異なり巻き上げに鍵を必要としないことだ。
 “世界最薄”の称号を争う超薄型トリオのなかだと、今でもブルガリがお気に入りだ。実際の時計として見える点が大きな理由であり、しかもCOSC認定もされている! とはいえ、コンスタンチンの天才的な技術も否定できない。

ベルネロン ミラージュ 34はストーンダイヤルが特徴で、このイベントの主役となった。
 今週の主役は、おそらくベルネロンのミラージュ 34だろう。昨年38mmのミラージュを発表したシルヴァン・ベルネロン(Sylvain Berneron)氏は、非対称ケースを小型化し、より小さくて薄いムーブメントを採用した。しかし最大の変化はダイヤルにある。小型化されたミラージュでは、YGのモデルにタイガーズアイのダイヤル、ホワイトゴールドにはラピスラズリのダイヤルが使われており、どちらも驚くほど美しい。タイガーズアイは1970年代のシャギーカーペットと木製パネルのようなレトロ感を漂わせ、もうひとつのラピスラズリはクールでモダンな印象を与えている。近々ベルネロン ミラージュコレクション全体のハンズオンレビューもお届けする予定だ。

 最後に紹介するのは、先週のEditors' Picksでも触れたダニエル・ロートのローズゴールドトゥールビヨンだ。これが最大のサプライズだった。リローンチされたロートのトゥールビヨンを実際に見るのは初めてだったが、想像以上に素晴らしかった。1990年代のオリジナルトゥールビヨンに加えられた改良はわずかだが、しっかりと感じ取れる。サファイア製シースルーバックをとおしてムーブメントを確認した際、まず目に留まったのはブラックポリッシュ仕上げされたテンプ受けだった。完璧に仕上げられたそのディテールは、レンダリングやプレス写真では決して伝わらない美しさだ。全体の仕上がりは温かみがあり、ギヨシェ彫りも繊細で、すべてのパーツが見事に仕上げられている。ロートの美学は完全に自分好みではないが、実際に見たあとでは客観的に見ても美しいウォッチメイキング作品だと感じた。
 業界の苦境を伝える報道が続くなかでも、ベルネロン、ロート、レジェピ、さらにはアルビスホルンのような新作を見ると、機械式時計製造の未来は依然として明るいと感じさせてくれる。

関連商品:https://www.yokowatch.com/BellRoss-Watch.html

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